Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

エドガー・アラン・ポーの美女再生譚シリーズ

エドガー・アラン・ポーの「ライジーア」「モレラ」「ベレニス」「アッシャー家の崩壊」「エレオノーラ」と、死んだ(と思われ)埋葬された女性が様々な形で甦る一連のシリーズを読んだ。死んだ女が蘇るとか、墓が掘り返され棺が開けられるとか、そういう話が大好物だ。なのでこのブログも3記事連続でそういう話題ばかり書いている。

上記5作品の結末に触れているのでは留意してください。それ以外の作品のネタバレはしていないはずです。

ライジー

死んだ女を追い求め続ける漫画の最高傑作は「ナポレオン 獅子の時代」4巻*1だと前記事に書いたが、小説としては「ライジーア」が今のところ最高傑作である。語り手はライジーアの瞳に特に魅せられていたようだが、私は彼女の黒髪が印象に残っている。特に再婚相手の金髪のロウィーナとの対比も興味深い*2。ただし財産目当ての親族により結婚させられたロウィーナは語り手に疎まれたあげく前妻に乗っ取られてしまうのだから気の毒である。語り手も自分のことを「もはや人間よりも悪魔の心」と言い、彼女もまた夫を愛していないと免罪符のように言う。

それでも語り手が再婚してなおライジーアを追憶する場面は、狂おしく美しい。

私の記憶は過去に飛んで(ああ、何たる強烈な悲しみがあったことか!) ライジーアに向かった。 私が愛した、尊く、美しく、いまは墓の下にいる女。その追憶に私は悦楽した。純粋で知恵のある女。 気高く澄みきった精神性と燃えて捧げつくした愛。 こうなると私もまた彼女を上回るほどの炎で己が全霊を燃やした。 

「ライジーア」『アッシャー家の崩壊/黄金虫』小川高義訳, 光文社古典新訳文庫, 2016, p. 72-73.

何と言ってもクライマックス、ライジーアの復活の描写は圧巻である。

彼女が接触を嫌うようにたじろいだ弾みに、頭に巻きついていた埋葬用の布地がずり 落ちて、風が吹き抜ける室内に流れ出たのは大量の長い乱れ髪だった。それが真夜中の大鴉の翼よりも黒いのだ!

「ライジーア」『アッシャー家の崩壊/黄金虫』小川高義訳, 光文社古典新訳文庫, 2016, p. 82.

最後の一文は短編小説の結末、そして一度死んだ者への愛情表現として最高峰である。

そして私の前に立つ姿がゆっくりと両眼を見開いた。 「そうだ、これでもう」私は大声で叫んだ。「もう絶対に間違えるはずがない― この大きな、黒い、激しい目― あれだけ愛して失った、わがレディ― ライジーア!」

「ライジーア」『アッシャー家の崩壊/黄金虫』小川高義訳, 光文社古典新訳文庫, 2016, p. 82.

モレラ

モレラはライジーア同様並外れて博学な女性であるが、妻を愛し続けた「ライジーア」の語り手とは異なり「モレラ」の語り手は彼女の学識や「パーソナル・アイデンティティは死後も保たれるのか否か」という議論への熱が恐ろしくなり、次第に彼女を疎むようになった。そもそも「初めから語り手は彼女を愛したことなどなかった」と語り手とモレラ双方の口から何度も繰り返されるのだが。

恐怖や呪縛よりもむしろ切なさが全篇を覆うように感じられるのは、語り手の方は彼女の死を待ってすらいたのに、モレラがそれでもなお彼をある種自己犠牲的なまでに愛していたからだろう。

どうやら彼女は、わたしの弱さや愚かさにも気づいていたようであったが、ただ微笑を浮かべ、これも運命だと言うばかりだった。また彼女は、次第にわたしのこころが疎遠になってゆく(わたし自身にも分からぬ)原因にも、気づいている様子であった。 しかしモレラは、その原因がどういう性質のものであるか、そぶりにも示してくれなかった。

「モレラ」『ポオ小説全集 I』阿部知二他訳, 創元推理文庫, 1974, p. 40-41.

「一日として、あなたの愛がそそがれた日はありませんでしたーですが生ける間うとまれたあたしを、死んだ後きっとあなたはお慕いになることでしょう」

「モレラ―」

「あたしはこのまま息を引き取ります。ですがあたしの中には、あなたがこのモレラにそそがれた―ああ、どんなにか僅かの!―愛情のかたみが宿っております(略)」

「モレラ」『ポオ小説全集 I』阿部知二他訳, 創元推理文庫, 1974, p. 42.

語り手の彼女に対する迫害すれすれの不実と憎悪を考えると、どうしてかくも賢いはずのモレラはそれでもなお彼のそばに留まりたいと願ったのか不思議なほどである。並外れた才能や知力、またそれらを支える生命エネルギーを浪費させるほどの狂おしい愛情を抱いてしまったのだと思った。

結末でモレラ(母)の墓を開けた語り手が遺体がないことに気づいた時、恐怖でもなく叫ぶでもなく泣くでもなく苦笑したということが、この短編が持つ奇妙で魅力的な味を決定的なものとしているように私には思える。

わたしは自らの手で娘を墓所へと運んだ。そしてわたしは、第二のモレラを横たえた納骨堂に、第一のモレラのあとかたもないのに気づいて、長く苦い笑いを笑ったのであった。

「モレラ」『ポオ小説全集 I』阿部知二他訳, 創元推理文庫, 1974, p. 45-46.

語り手はモレラ(母)が自らに死してなお執着していたという恐怖、あるいは生前の不実に対する後ろめたさではなく、「そんなに私のことが好きだったのか」と、その愛に圧倒され、笑う他なくなってしまったのだろう。

ベレニス

今回取り上げた中で最も猟奇的で生理的な気持ち悪さすら覚えた作品。怪奇・猟奇譚を読んで気持ち悪いと感じたことは、あのアンドレ・ド・ロルドグランギニョル作品でさえも皆無だったのだ。しかし「ベレニス」は全体的にある種の嫌悪感やむかつきを覚えた。語り手の上着についた血と爪の跡が示され、それから対比させるかのように医療器具を使って抜かれた32本の歯が飛び散るラストはあまりに生々しく嫌悪感を覚えさせる。力ずくで無理やり一本の歯を指で抜いたわけでなく、歯科治療の器具を用い医療行為のように全ての歯を綺麗に抜いたことが気持ち悪さを増幅させる。歯医者に行けなくなるのではないかと恐れているくらいだ。

アッシャー家の崩壊

別人のように変貌した元・親友との再会、呪われた一族や屋敷の崩壊などたくさんの要素が詰め込まれており美女蘇生(というよりむしろ早すぎた埋葬だったのだが)が他作品より目立たない印象。初読から10年近くたって再読したのだが、再読前の記憶に一番残っていたのはロドリック・アッシャーの衰弱ぶりだった。マデラインは恐ろしい存在というより、むしろ兄のせいで生きたまま埋葬されてしまった気の毒な存在であるように思えた。そういえば初読時は選んだ訳の文体に慣れることができず、墓から出たマデラインとロドリックの死をまるっと読み飛ばしてしまったことを思い出した。

エレオノーラ

美女再生譚シリーズの解決編とも言うべき話。初恋の少女エレオノーラを亡くし、「一生彼女を忘れない」という誓いを立てた語り手はしかしやがて街で美少女アーメンガードに惚れ込んでしまい、呪いが降りかかるのでは!?という話である。しかし彼女の今際の際に語り手が立てた誓いにもかかわらず、これまでの4作品のような呪縛や狂気や猟奇といった暗さはあまり感じられない。

なんと言っても、アーメンガードと結ばれた語り手の前に現れたエレオノーラが、

「安らかに眠りなさい!愛の魂の君臨と支配、それからアーメンガードという女性への熱情により、あなたはエレオノーラに立てた誓いから解放されるのです。その理由は天国でお分かりになるでしょう!」

※手元に邦訳がないため、wikisourceをもとに執筆者が和訳。英文学の和訳は長らくやっていないので、自信は全くありません。

と、語り手を非難も呪いもせずあっさり解放するからだろう。過去に囚われず前に進むことを後押しするエレオノーラは良い人だと素直に思っていたが、「その理由は天国で分かるだろう」という一節はそれでも謎めいている。

また「エレオノーラ」の明るさの理由としては、ポーのゴシック小説への意見の変化も考慮する必要がありそうだ。今回の5作の中で「エレオノーラ」が一番最後に書かれた*3Wikipediaで申し訳ないが、「ライジーア」はゴシック小説に対する風刺として書かれたという説もあるらしい。ポーはゴシックの陰惨さをあまり良く思わなくなっており、美女再生譚に対する一種の回答として語り手が誓い/呪いから解放される「エレオノーラ」を書いたのだろうか。

 

今回取り上げた中で私が特に好きなのは「ライジーア」と「モレラ」だ。どちらもタイトルロールの女性のキャラクターが力強く魅力的だ。彼女たちはどちらも主人公への愛や生命への願望を死の間際まで強く抱き続け、死んでなお語り手を突き動かす。私が死んだ女性が生き返る話を好み、墓を掘り返そうが生き返るはずのない者(小説でなく現実世界に生きていた人間なら自明のことだが)も甦るのを望むのは、死してなお生者の心を捉え続ける存在に魅了されるからだろう。

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今回読んだ版は、「アッシャー家の崩壊」と「ライジーア」は光文社古典新訳文庫

www.kotensinyaku.jp

「モレラ」「ベレニス」は創元推理文庫

www.tsogen.co.jp

「エレオノーラ」は東京創元社のハードカバー全集で読んだ(創元推理文庫版の全集は3巻に収録されているとのことだが、よく利用する図書館に所蔵がなかった。ただし訳者が共通かどうかは確認していない)

www.tsogen.co.jp

*1:ちなみに史実のジョルジュ・ダントンは黒髪巻き毛のガブリエルと死に別れ墓を暴いたあと、金髪直毛のルイーズ・ジェリーと再婚したが、1年もせずダントンは黒髪巻き毛のカミーユ・デムーランと一緒に死んだ。黒髪巻き毛へのある種の執着やフェティシズムを見てしまいたくなる。ただしダントンと、夫妻の友人で子どもたちの面倒をガブリエルの生前から見ていたルイーズの関係は「ライジーア」の語り手とロウィーナのように殺伐とせず、あるいは世間で言われるようないやらしいものではなく、むしろ穏やかなものだったように思える。

*2:「ベレニス」『ポオ小説全集 I』創元推理文庫 p. 36.の脚注 によれば、ブロンド女性との結婚は「裏切り」を意味するという。

*3:執筆順は「ベレニス」/「モレラ」(1835)→「ライジーア (1838)」→「アッシャー家の崩壊(1839)」→「エレオノーラ(1841)」