Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

菊とギロチン

昨年末に映画、菊とギロチンを観た。本当は昨年の夏にシアターキノで見る予定が、その日の早朝に胆振地震とブラックアウトに見舞われて観ることができなかったのだ。その時は気づかなかったが、本作も関東大震災後が舞台なので何かの縁だったのかもしれない。

(決して時事ネタ便乗ではないことだけは記しておく。そして

この映画のテーマの一つは友情だと私には思われる。ギロチン社と女相撲それぞれの側に友情について考えさせられる場面があったと思う。

最も心に残った場面は中浜哲逮捕後に古田大次郎と倉地啓司が爆弾を試作するところだ。試作品を爆発させた後、倉地は一度は逃げ出した自分のことを馬鹿にしているだろうと古田に詰め寄り、ギロチン社で集まっていた時も愛想笑いと相槌ばかりでまともに話したことはなかっただろうと責める。

「お前 いっぺんでも みんなのこと考えたことあった?」

「けど俺はそんなん屁とも思ってへん 俺という人間の素晴らしさをお前なんかにわかってたまるか 友だち面すんな!」

倉地はそう言い放つと古田を無視して爆弾の改善点を探る。だが古田が

「鉄さんがいなくなって 俺一人でどうしたらいいか分かんねんだよ!」

と叫ぶと倉地は

「お前 今 一人だって言うた? お前 今 俺無視しとるやんけ!

俺 誰も無視してへんぞ(略)あの中浜が 死刑になって 死んじまったらどうなるか 考えるんよ 

俺 あのクソ野郎が死刑になって死ぬのが悲しいんよ」

「じゃあ 俺はどうすればいい 俺は人一人殺したんだ 死刑になった方がいいだろ」

「違うわ お前だって死ぬのは俺はイヤやわ」

(字幕から抜粋)

古田はずっと「一人で」テロを起こし死ぬことだけを考えていた。元々ロクに行動も起こさず遊んでばかりのギロチン社の中でも浮いていたようだし、誤って殺人を犯してからは一人で行動を起こそうとする傾向はより強まったのではないだろうか。だが彼の周辺にいた人々は古田が一人で死に向かって突き進んでいくのを抑えようとしていた。女相撲を最初に観戦したあと一旦別れるときに村木源二郎は「決して命を粗末にするな」と古田を諫めるし、中浜も古田を一人で死なせないように頑張っているようだった。古田が正力を暗殺しようとしたところで最後まで着いてきたり、朝鮮で爆弾入手に失敗した後資金を得ようと再び大阪でリャクを試みたのも古田「一人に」テロをやらせたくなかったからだろう。しかし古田は彼らの「一人で死んでほしくない」という気持ちには気づいていなかったか、気づいていても心の中から振り払っていたように思われる。古田は自分の世界には自分ひとりしかいないと考え、倉地の言うように周りの人々の存在を無視していたのではないだろうか。それは古田が大きな信頼を抱いていたように思われる中浜に対しても同様であったように思う。彼は中浜を同じ信条を持ち、同じ目的に向かう同志とは考えていても、実は「一人で死んでほしくない」と考えてくれるような友人とは考えていなかったのではないだろうか。

このシーンのあとに倉地が出る場面もないし、ギロチン社の活動もエンドロールまで描かれることはない。そういった意味ではこのシーンは唐突な感も否めない。だがこの後古田は玉岩興行から夫に連れ戻された花菊をボロボロになりながらも救い、再び土俵に立つように促す。倉地に「死んでほしくない」と言われた古田は彼のみでなく中浜や村木の「古田に死に急いでほしくない(=生きてほしい)」という気持ちを理解し、その上で「好きな花菊に少しでも思うように生きてほしい」と思ってあのような行動に出たのではないだろうか。

いくつかこの映画の感想を読んでもこのシーンを取り上げているものはほとんどなかったし、小説版でも割愛されていたように記憶している。しかし私は古田と倉地のこのシーンが作品の最も重要な場面だと思う。

女相撲側では、小桜が(捜索願が出されていたので)警察に連れ戻されるとき、亭主に頭なんて下げないと言い放ち警察に暴行される彼女に対して力士たちが「小桜負けんなよ!」と激励するシーンが印象に残っている。その前の場面で小桜が花菊に話しかけたあと、ほかの力士が花菊に「小桜は女好きだから気を付けて」とくすくす笑いながら言うシーンがあった。このシーンを見たときは虐げられてきた女性たちが集まった女相撲興行でも、さらに少数者を差別して好奇の対象にするのかと少し失望した。

その後も十勝川が勝手に売春で金を稼いでいたことを糾弾される場面で、「十勝川朝鮮人だから」と出自をあげつらわれていた。(ちなみにこの時小桜は「朝鮮人だろうが何だろうがどうでもいい」というようなセリフを吐き捨て、十勝川の出自にも行動にも関心を向けていなかったように思われる)しかし十勝川在郷軍人たちに連れて行かれる場面で、力士の一人が「すぐ帰ってこれるから」と彼女に法被をかぶせ、励ますシーンがあった。(その前の古田と中浜と避難民のとのやり取りから、朝鮮人たちが拷問され殺されたことは周知の事実ではなく、力士たちも十勝川が暴行されるとは思っていなかったのだろう)

倉地と力士たちを見て、「綺麗ではないが、強い友情」が伝わった。倉地は中浜をクソ野郎と罵り、力士たちは自分たちと違う者を中傷する。だが倉地は中浜が死ぬのが悲しいと言い、力士たちは同僚が危機に瀕すると激励する。それこそが友情の本質ではないだろうか。そしてこの友情こそ、この閉塞する世の中の突破口になりうるものではないだろうか。