Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

墓の彼方からの愛とクィアな欲望―ミシュレ『革命の女たち』

このブログでデタラメだ作り話だと何かにつけ批判しているジュール・ミシュレLes Femmes de la Révolution (1854)(邦訳『革命の女たち』なおネットで公開されている。)だが、文学作品として面白いのは否定できない。

オランプ・ド・グージュのイメージ受容に関するドイツ語の論文によれば、本作品で描かれる女性たちは「ミシュレが理想に従って作り上げたもので、実在の人物とは何の関係もない*1」。だから私がいちいち文句を付ける必要もない。とはいえ、この本のせいでガブリエルやルイーズ*2はなんの面白みもない「平凡な妻や母」「可哀想な人」として扱われがちだ。私はそれが腹立たしい。

さて近頃、Les Femmes de la Révolutionのガブリエルとルイーズの項に19世紀の「墓場系」文学作品への文化的リファレンスがあるのではないか?と思い当たった。また初読時から、私はこの文章に対して、いわば「クィア」とでも呼ぶべき感覚を拭い去ることができない。

だから愛憎半ばするこの文章に対し、思ったことを一度まとめてみる。

先行作品からの影響

これはエミリー・ブロンテ嵐が丘』(1847) やエドガー・アラン・ポー「ライジーア」(1838)の影響を受けているのではないかと、ふと思い当たった。もっともミシュレがこれらを読んでいたという確証はどこにもないので、学術的根拠はないのだが...

「ライジーア」: 死んだものに支配される結婚

「ライジーア」と共通する要素としては、黒髪の先妻と金髪の後妻は、黒髪のガブリエルと金髪のルイーズだ(肖像画がそう描いているので、ミシュレの創作ではない)。先妻を亡くし社会性を失う語り手は革命に対する興味を失ったダントン。豪奢な館は、収賄汚職の噂の絶えない彼の贅沢な生活を思わせる。夫を恐れる後妻ロウィーナはそのまま夫を恐れるルイーズ。「忌まわしき蜜月」。

Les Femmes de la Révolution

確かに言えることとして、彼女は夫に勝ったのだ*3

という一節は、ロウィーナと過ごしていてもライジーアの想像に浸る主人公や、ロウィーナの死体の上にライジーアが蘇るラストシーンを思わせる。Les Femmes de la Révolutionでも、ダントンが生涯愛していたのはガブリエルだったのだろう。彼はガブリエルが愛すよう命じたから、ルイーズを愛したのではないか。ミシュレが主張するように、ダントンの失脚がルイーズのせいだと言うのなら、彼の破滅を望んだのは全てわかっていたガブリエルだ。

もっともガブリエルはライジーアと違い、ルイーズを犠牲にして自らが蘇ろうとは考えもしなかっただろう。なおガブリエルとルイーズの関係については後述する。

嵐が丘」:フランス版ヒースクリフとしてのダントン?

エミリー・ブロンテ嵐が丘』を読んだのはごく最近のことだ。29章のヒースクリフの独白まで読んだとき、どうしてもガブリエルの墓を掘り起こすダントンを思い浮かべずにはいられないかった。何も証拠はないのに、ミシュレは『嵐が丘』を読みその答えとしてこの章を書いたのではないかと思わずにはいられない。例えば以下のような対応を発見した。

ミシュレ

遅すぎたことは見越していた、家は空っぽで子どもたちに母親はおらず、あんなに激しく愛した身体は棺の底にあるのだと。ダントンは霊魂などほとんど信じていなかった。彼が追い求め、もう一度会いたいと願ったのは身体である*4

ブロンテ:

「夜明けから夜明けまで、またおれのところへもどってきてくれと彼女[キャサリン]にたえず祈っていた。彼女の霊にたいしてだ。おれは、幽霊はいると本気で信じている。おれたちのあいだにいてもおかしくはない、いやぜったいにいると確信している!*5

ヒースクリフの霊魂信仰に対し、ミシュレはダントンを肉体信仰の人として描いた。もっとも、ダントンの「肉体信仰」はまるきりミシュレの創作ではない。史実のダントンがガブリエルの肉体的形跡を追い求めた節があることは、ヴィクトル・シャルパンティエの手紙からうかがえる。霊魂の方を信じていたか否か、判断できる一次資料は今のところないが...

また死体の描写に関しても、以下のような呼応が見られる。

ミシュレ

その身体を彼は土から引き剥がした。七日七晩も経ったあとで蛆虫から奪おうとして、無惨なまでに朽ち果てていた身体を、彼は狂ったように抱いたのだった*6

棺を覆う布に包まれて彼は抱いたのだ、その青春、幸福、財産であったものを。彼は何を見たのだろうか。彼が抱きしめたのは何だったのか(七日も経ったあとで!?*7

嵐が丘』:

「お前は、おれがそんな変化を恐れると思うか?柩の蓋をもちあげたときのおれあ、そういうかわり様を覚悟していた。だが、おれも柩の中で一緒に朽ちはじめるまでは、彼女も朽ちはじめそうにないのを見たあとでは、なおさら嬉しい*8

ヒースクリフが「キャサリンの遺体は全く傷んでいなかった」と言うのに対し(彼は正気であるとは言えないので、本当のところどうだったのかはわからない)ミシュレはガブリエルの遺体が「無惨なまでに朽ち果てていた」ことを強調する。何の意図をもって彼がこのことを繰り返すのか定かでない。ロマン主義が好んだ「死体と愛」の幻想を打ち砕こうとしたのだろうか。だが腐り果ててもなお彼がガブリエルを強く抱擁したことは、より一層ダントンの愛の強烈さと異様さを浮き立たせる。

澁澤龍彦だったか、フランスはゴシックや怪奇小説不毛の土地だと書いていた。確かにイギリスやドイツに比べ、フランス文学の「怪奇もの」の名作を思い浮かべるのは難しい。メリメ「イールのヴィーナス」やモーパッサン「オルラ」、モーリス・ルヴェルくらいか?バルべー=ドールヴィイヴィリエ・ド・リラダン、グラン=ギニョル座のアンドレ・ド・ロルドは「生きている人間の怖さ」を主眼に置いている。ガブリエルの霊が登場するわけではないのだから、この物語もダントンの狂おしい愛情という「人間の執念」が主題だ。とはいえこの章は下手な文学作品よりもフレンチ・ゴシックの名作になり得たし、ジョルジュ・ダントンはフランスの代表的ゴシック・ヒーローにもなれたかもしれない(現に私は彼をそう思っている)。

だがミシュレはあえてその可能性を潰そうとしたように思える。Les Femmes de la Révolutionという本の趣旨を逸脱するからだろうか。ダントンにゴシックは似合わないと考えたからだろうか。彼はそうあってはならないと考えたからだろうか。後世の人々はダントンに、必ずしも史実に基づかない「男らしさ」を押し付けた。ミシュレも主犯格の一人と言って良い。

とはいえ、ヒースクリフにはダントンを思わせるところが他にもある。ヒースクリフの死の直前に発せられた

「この頑健な身体、節度のある生活、危険のない職業。おれは髪がほとんど真っ白になるまでこの地上にいるのが当然で、事実そうなるだろう。だがこんな人生がつづくのはやりきれん!息をするのも辛く、それどころか心臓がうごいていることさえ思い出さなくてはならない人生なんだからな!*9

という独白は、「スポーツ選手のような頑健な体躯を自然から与えられた*10」とかつて自分で語ったダントンが裁判時に発したとされる

「俺にとって人生は重荷だ。下ろしたくてたまらない*11

という台詞を思わせる。個人的には長谷川哲也『ナポレオン』におけるダントンのモデルの一人はヒースクリフではないかと思っている。

反対にエミリー・ブロンテヒースクリフの人物造形にあたってダントンから着想を得た可能性はないのだろうか。「デカい不細工な奴が王を殺した」くらいに単純化された風説は出回っていそうだし、ガブリエルの胸像制作にまつわる話も噂として出回って可能性もある*12


もっともこの本の中でジョルジュとガブリエルは傷つけ合うことなく愛し合っていたようだから、『嵐が丘』にたとえればキャサリンヒースクリフというより、ヒンドリーとフランセスにも近いのかもしれない。彼らはこの小説の中で唯一、束の間とはいえ肉体的(=温かい肌の触れ合いによる)幸福を実現した。

私がミシュレの文章を憎み切ることができないのは、生前は離れることなく愛し合っていたとしても、いやだからこそ墓を暴くような狂おしい情念にとらわれるのだということを示したからだろう。

ルイーズに恋をしていたのは誰か?

ミシュレはかき消そうとしているものの、私は初めて読んだときから"クィア"(この言葉が適切か否かはわからない。だがこう呼ぶのが一番近いように思う。本当はこの言葉も私の覚える感情や感触を十分に反映していないが。)な感覚を覚えてやまない。

どこに覚えるかといえば、夫がルイーズと再婚することを熱烈に望んだガブリエルに。

いくら「夫を幸せにしたかった」「子どもたちに新しい母親を作ってやりたかった」「王党派のカトリックで、革命を止めたかったから」*13と言われても、結婚している女性がその夫の再婚を望むのは変だ。しかもその相手として、その相手に好意を抱いてもいない少女を持ち出してくるなんて。

日本語訳を読んだ時点で「夫がルイーズに恋しているとガブリエルは思っていた」と解釈していたが、あまりに唐突ではないかと頭を捻った。前章でそんな感情は一切言及されていないのに。さらに本作の英訳(あるいは翻案)で、「ガブリエルは夫がルイーズに恋していると思い、二人を結婚させてやるために死んだ*14。しかしダントンがルイーズに初めて会ったのはガブリエルの死後のことで、それまでは全く面識がなかった」と書いてあるものを読んだ。彼女は思い込みで命を失い、周りの人物を不幸にしたことになる。

もっともミシュレの原文を当たると、この時点でダントンがルイーズに夢中になっているとは必ずしも書いていない。

L’aimant avec passion, elle devina qu’il aimait et voulut le rendre heureux*15.

L'aimant...はelle [=ガブリエル]にかかり、代名詞L' (=le)は文中のil、つまり彼女の夫であるダントンだろう。il aimaitの目的語がないのが気にかかる。この時点でダントンの相手はルイーズと断定されてはいないのだろうか。夫が誰かに恋をするだろうと思った彼女は適切な相手を見つけることで夫を幸せにしたかった、ということだろうか?この後の箇所を読んでも、ダントンがルイーズの存在を知ったのはガブリエルの死後にすぎないようだ。ダントンの頭の中を支配していたのは、最後までガブリエルだったように読める。そしてルイーズを熱望していたのはガブリエルだ。

ルイーズに恋をしていたのはガブリエルではないのか?彼女の苦しみと死の原因も、もしかするとそこにあったのではないか?革命が起こったとはいえ、18世紀だ。同性愛はまだ「恥ずべき悪徳」だっただろう。年齢差の問題もある。彼女の母親とガブリエルはほぼ同い年だ。だがそれ以上に彼女が耐えられなかったのは美に関する自己矛盾だったのかもしれない。「醜い」とフランス中から笑われている夫を「美しい」と主張してまで愛していたのに、今更美少女に惚れ込んでしまうなんて。しかもミシュレが言う通り、ガブリエルはジョルジュのこともいまだ激しく愛していた。あらゆる意味で自分の願望を実現することが不可能だと絶望した彼女は、愛する夫に自身の欲望を代行させようとしたのではないか。

ガブリエルが平凡な人物ではないことはミシュレも書いていた。

平穏で楽な暮らしをしていたのに、この女性は危険を冒したいと望む天分があった。[...] 気取らないが豊かな心を持つこの女は、この闇と光の天使を捕らえ、深淵を超え、狭い橋を渡っていった...だが彼女はそこで力尽き、神の手に落ちていったのだった*16

詩人を形容するような言葉ではないだろうか。彼女はランボー『地獄の季節』の語り手のような人物なのだと思った。ミシュレは彼女が「普通の女性」ではないとわかっていたのに、無理くり「母性」「優しさ」という「彼の理想とする18世紀の女性」の枠に押し込めてしまった。

ルイーズはなぜこの結婚を受け入れたのか。父親に売られた?半ば強制された?ガブリエルのためではなかったか?彼女がガブリエルをどう思っていたか、不自然なほど全く触れられていない。ちなみにクロード・デュパンと再婚したルイーズは、息子に「アントワーヌ・ルイ・ガブリエル」と付けた*17。この組み合わせに、彼女の影を見て取ることはできないだろうか。

史実ではこの再婚がどんな事情の下で行われたか判然とせず、ダントンがルイーズをどう思っていたかも定かでない。ヒレア・ベロックは「ダントンは彼女を愛しておらず、非宣誓神父の元での挙式に同意したのはどうでも良かったからだ*18。」とまで書いている。ルイーズとガブリエルがどの程度親しかったのか分かる史料も今のところほぼ確認されていない。

だからガブリエルの感情は私のでっち上げだ。だがLes Femmes de la Révolution自体が実在の歴史人物とは何ら関係もなく、アントワネット・ガブリエル・シャルパンティエの名前も出てこないのだから、これくらい想像しても許されるだろう。

 

ここまで長々と書いてきたが、いずれも根拠のない想像である。より現実的に考えれば、この2章の執筆に関する一番有り得そうな説は「ミシュレは自身の私生活を正当化するためにダントンに自らを重ねた」と思う。歴史家は最初の妻を顧みなかったため、彼女はアルコールに溺れ亡くなったらしい。ミシュレは罪悪感からか、彼女の墓を掘り起こし改葬したという。その後彼は30近くも年下の博物学者、アテナイス・ミアラレと再婚した。ミシュレはダントンの私生活を持ち出すことで自身の最初の妻に対する後ろめたさを解消しようとしたのではないか。それから再婚について「ルイーズと違いアテナイスは聡明で自分を愛している」と正当化しようとしたような気がする。ジュールとアテナイスの結婚生活についての意見は特段持ち合わせていない。だがもしこの説が理にかなっているとしたら、自らの正当化に無関係の歴史人物を持ち出し、「歴史」と称するのはどうかと思う。

*1:ちなみにこの論文ではガブリエルの名前が一度も出てこないことも指摘される。とはいえ「ダントンの最初の妻」と呼び続けるのはまどろっこしいので、本稿では本作品に登場する彼女も「ガブリエル」と呼ぶことにする。

*2:ミシュレをはじめ、様々な歴史の本でルイーズ・ジェリーは「16歳の若妻」と書かれている。しかしパリ市の証明書アーカイブ(結果にリンクが貼れないため、気になる方は「naissance」を選択し、03/03/1776と入力して検索してほしい)によればルイーズの生年月日は1776年3月3日であり、1793年6月に結婚した時には17歳である。

*3:Jules Michelet, Les Femmes de la Révolution, 1898, chap.21.なお日本語訳は本稿著者が行った。

*4:Les Femmes de la Révolution, chap. 20.

*5:E. ブロンテ, 小野寺健訳『嵐が丘』,光文社古典新訳文庫, 2010, 下巻, p. 304.

*6:Les Femmes de la Révolution, chap. 20.

*7:Les Femmes de la Révolution, chap. 21.

*8:嵐が丘, 下巻, p. 304.

*9:嵐が丘、下巻, p. 381-382.

*10:"Substitut du procureur de la Commune", La Patrie est en danger, 1893.

*11:"Jugement de Danton", La patrie en danger.

*12:ミシュレフランス革命史』以前に執筆された『ダントンの死』の作者ビューヒナー(ドイツ)が墓暴き事件を知っていた可能性を指摘する論文を読んだことがある。

*13:いずれの主張も裏付ける史料は確認できない。

*14:自殺をほのめかしているのだろうか?

*15:Les Femmes de la Révolution, chap. 21.

*16:Les Femmes de la Révolution, chap. 20.

*17:ちなみにこの再婚で娘も生まれたが、この子は「カミーユ・アントワネット」と名付けられた。ルイーズの脳裏にかつて付き合いがあっただろうカミーユ・デムーランがいたのかどうかは分からない。

*18:Hilaire Belloc, Danton, p. 282.