Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

「聴き直して」刺さった音楽

初めて聴いた時は心が動かず流したままにしていた音楽が、時を経て聴き直してみると刺さることが特にこの1年くらいの間よく起こっている。以前よりも好きな音楽の幅が広がってきたのだろうか。いくつか最近「聴き直して」刺さった音楽を書いていきたいと思う。

The Virgin Suicides - Air

映画ヴァージン・スーサイズのサントラ。Airは去年フランスに行った時に、ストラスブール大学の日本語学科の学生からおすすめのフランスの音楽を聞いたときに教えてもらった。そのときは現在よりもギターロックを求めていたので、一度聴いたけれどしばらく忘れていた。Airを再び聴き始めたのは美容室でCherry Blossom Girlを聞いて良いと思ったからである。色々漁ったが、今のところこれと(Cherry~が入っている)「Talkie Walkie」が好きである。因みに映画も見たが、確かにあの世界観は好きだがバイブルにはならないと思った。原作小説は昔読んで、そのときは気に入ったので残念だった。ソフィア・コッポラ監督の映画は「マリー・アントワネット」と「ブリングリング」を観たが、どれも「好きだが刺さるほどではなかった」。ファッション誌のLARMEもそうだが、あの手のガーリー感に今一つ嵌ることができない。少しくすんだパステルカラーの色調になじめないのだろうか。(「ブリングリング」はもっと原色感があった気がするが)

Okovi - Zola Jesus

ゾラ・ジーザスを知ったのは作家のゾラについて調べていた時にたまたま彼女のインタビュー記事をに行き当たったがきっかけだったと思う。彼女のヴィジュアルイメージと言行に興味を持ったので聴いてみたが、想定していたものと違ったのでしばらく放置していた。最近になってグライムス批判の記事でその存在を思い出し、聴き直した。エレクトロニック、インダストリアルなサウンドととストリングスや彼女の伸びやかな歌声が白黒世界において無機物と有機物がからんでいくようで面白い。音からイメージして北欧か東欧出身だろうかと思ったらアメリカ、ウィスコンシンの森の中で育ったらしい。

eureka - きのこ帝国

きのこ帝国は昔Twitterで勧められて「猫とアレルギー」を聴いて放置していた。解散の知らせも受け流していたが、最近になって和製シューゲイザーが聴きたくなって「eureka」に出会った。シューゲイザーは元々好きだったがバニラアイスが少し溶けている色つきソーダ水のような切ない爽やかさに傾きがちなところだけは敬遠していた。私はシューゲイザーに、マイブラ的な息の詰まる濃密な暗さを求めていた。きのこ帝国はポップなイメージが強かったが、これは確かに呼吸のできる爽やかさはあるが、夜空の暗さを思わせるところが気に入った。一曲目に「星めぐりの歌」が出てきて宮沢賢治のことを思い出したが、彼の作品は教科書やら学校に来た劇団のせいで「朴訥で素朴な童話」という先入観を持っていたが、考えると底知れぬ暗さと冷たさを称えていると感じた。

このように書き出してみると、この心境の変化は私が以前よりもギターロックを求めなくなった、或いはポップ志向に寄ったからではないかと思われる。きのこ帝国のところで書いたような爽やかさを許容する(というよりむしろ求める)ようになったようにも思われる。

しかし考え直してみると、最近に限らず私が好きな音楽はほとんど「一度スルーして、あとから嵌る」パターンであるような気がする。(覚えている限りだとBauhaus、Grimes、The Novembersなど)インプットしてからの反応が遅いのだろうか。それとも既に何かに夢中になっている状態であることが多いので、新たなものを受け入れる隙間ができるのに時間がかかるのだろうか。

この現象で困るのは、人から何か勧められた時に良い反応をすぐ返せないということである。しかし勧められたものに後から猛烈に嵌ってしまうと、今更その話をできなくなってしまう。「あなたが勧めたこれが今になって心に落ちた」と伝えたいが、あまり親しくない人だと特に、改めて言いだすのは気恥ずかしい。また少し前に流行した音楽の良さを時間が経ってから見出すと、「今更感」を覚えて少し悔しくなる。音楽の趣味は人に見せびらかすものではないし、勝ち負けではないのは分かってはいるのだが。

しかしながら音楽に、新たな出会いだけでなく聴き直して再発見する楽しみがあるということは喜ばしいと私は思う。