Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

マイ・ブロークン・マリコ

マイ・ブロークン・マリコの単行本を買って読んだ。

発売日にキャンペーンをしていた本屋の通販(生協で受け取るやつ)で買おうと思ったら売り切れで、京都の恵文社一乗寺店で見かけて手に入れた。ちなみにそれから3週間後くらいにイオンの本屋に山積みになった光景を見た時は驚愕した。

(以下ネタバレあり)


私はシイノがまりがおか岬から転落する場面から、マリコの死は自殺ではないかもしれないと思った。シイノはまりがおか岬で投身自殺を試みるものの痴漢に追いかけられる少女を見つけ、痴漢を倒そうとし、勢い余ってマリコの遺骨を空に散らしながら岬から落ちた。彼女が岬から飛び降りたのは結果的には自殺するためではなかった。もしマリコが自殺したのだと断定されていたら、シイノは死のうと思いながら飛び降りたか、あるいは飛び降りなかったのではないか。冒頭のニュースではマリコの遺体からは睡眠薬が検出されたと報じられていた。しかしかつて手首を切ったように、彼女は本気で死ぬつもりはないまま睡眠薬を過剰摂取したあと、誤って落ちてしまったかもしれないし、恋人か誰かに殺されてしまったのかもしれない。

シイノはいつもマリコを助けに行くが、結局マリコはいつも助からない。中学生の時花火の約束に現れないマリコを迎えにシイノはマリコの家まで行くも、花火には連れ出せない。大人になってから一度はDV彼氏をシイノが撃退しても、再び彼氏に会いに行ったマリコは骨を折られ財布を奪われる。シイノがマリコを助けられるようになっても、マリコは悲劇の中に留まる。マリコはシイノが助けに来るも、結局は助からない状況を望んでいたのではないだろうか。死もそうだ。マリコはシイノに死を匂わせる連絡はとっていない。シイノはもしマリコが(自殺他殺問わず)死のうとしていたら何もかも投げ出して助けに行っただろう。

またマリコの父親の再婚相手としてタムラキョウコという女性が登場する。彼女は良心的な人物として描かれ、シイノは「もっと早くこの人が家に来ていたらマリコもこんなことにならなかったのでは」と思う。作中の描写からしても、キョウコはもしマリコが助けを求めたらそれに応じたのではないか。にもかかわらずマリコとキョウコの間に交流があったようには思えない。(シイノもキョウコについては存在しか知らなかったようである)マリコはシイノ以外の助けを拒み、さらにはシイノの助けを感じつつもそれ裏切りついには死んだのではないだろうか。自身が言うように、マリコは「ぶっ壊れてい」てシイノの存在以外に実感がなく、またシイノ以外の実感など要らなかったのだろう。

もしかするとマリコはシイノ以外の何かを実感するかもしれない状況にあったのかもしれない。マリコの死は、シイノだけを実感しつづけるためのものだったのではないか。シイちゃんはきっと助けに来てくれるだろうけど私はもう終わりというような。

…となるとやはりマリコの死は自殺なのだろうか。一応事故や殺人でも成り立たないことはないが。