Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

東京展覧会探訪part.Ⅱ-未来と芸術展

マル秘展を後にして所用を済ませ、夜に森美術館の未来と芸術展を訪れた。

この展覧会はバイオロジー的視点から未来と人間を考える作品が目立つように感じた。

集合住宅を居住者の深層心理を読み取って建築するというプロジェクトである「気分の建築」には(記憶違いでなければ)「これまでの機械や有機的、生物学的アプローチから理想の建築を作る」といったキャプションがあり、立てられる集合住宅には居住者の生理的情報も組み込まれているとされていた。

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そのまま「バイオ・アトリエ」と称した一角では、微生物の塩基配列をもとに製作されたやくしまるえつこの「わたしは人類」が流れていたり心臓を聖遺物のように扱った展示作品(エイミー・カール「エンメッシュメント(生命と愛のもつれ)」、ゴッホの耳を子孫のDNAから再生した展示物(デイムート・シュトレーベ「シュガーベイブ」)があった。

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臓器つながりで言えば、作者の細胞由来のips細胞から生み出された人工の脳が植え付けられたシンセサイザーの演奏が流されていた。(ガイ・ベン=アリ「cellF」)

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キービジュアルになっている「H.O.R.T.U.S. XL アスタキサンチン g」は3Dプリンターで出力した造形物に微細藻類を埋めこんだ"バイオ・スカルプチャー" だという。

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これらのバイオロジーに関連した展示に私が感じたのはある種の不気味さ、恐ろしさだ。

思えば昔から生物学や医学、生理学が怖かった。中学、高校時代で1番苦手だったのは保健だが、受験科目系の教科では生物が最も苦手で高校は文系にも関わらず物理選択だった。(物理学自体が好きだったのに加え理系学部への進学の道をギリギリまで閉ざしたくなかったからだが) その生物学や医学、生理学への苦手意識は恐怖心に由来したものではないだろうか。その要因として、まず自らが生物、あるいは有機物であることに対する抵抗意識があった。自分の体が細胞から構成されて食事や運動、睡眠時間やストレスなど日々の生活によって変わっていくことを嫌悪していた。さらには二酸化炭素やその他老廃物を排出し、時には腐り果ててしまうことが怖かった。

また自然や動植物の生態に学べとか、人間/生物はこうあるのだからあなたもこうすべきだという(所謂「自然主義の誤謬」に属するような)言説に対する腹立たしさと反抗心も強い。誤謬と言われているように「ある生物はこのような生態を持っているから人間もそうすべきだ」という論理は誤りであるのだが、それでも世間的な噂や教訓としてこれらの言説は未だに強力だ。人間も生物、有機物であるのは事実なだけに説得力が強いのだろう。私が怖いのは「〜すべき」という内容が正しいか否かということではなく、「我々人間も生物だから」という理由がこの社会の行動規範と化して私たちを縛り付けるのではないかということだ。我々は生物なのだから自分たちの遺伝子を残さなければならない、次の世代のために生きなければならない、子孫を残さなければならない…

現在はAIやコンピューターが社会の道標になっているが、将来的には生物学が人間世界の新たな神や教義になるのではないかというおそれを感じた。今はAIやコンピューターに対する反論もなされ議論も活発だが、生物学的規範は「人間も生物である」という理由で疑いがさし挟まれることも少ないまま受け入れられてゆくのではないだろうか。生物学の学説は研究によって絶え間なく更新されてゆくのだろうが、生物学は人間の規範であるという言説は揺らがずに確立し続けるように思える。


とはいえこの展覧会は"バイオロジー教教会"ではない。ヘッダーはAIにイスラム圏の装飾(ムカルナス)パターンを学習させた作品(ミハエル・ハンスマイヤー「ムカルナスの変異」) だが、不気味さ(集合体恐怖症的性質が強いのではないか) とともに人間の手掛けた抽象美術や宗教建築に近い崇高さを感じた。(モスクなどイスラム圏の建築や美術に直に触れた経験はないので、それらの実物を目にした後ではまた異なる感想を抱くのかもしれないが) 

またロボットが人間社会に溶け込んだ様子を描いた作品もあった。(ヴァンサン・フルニエ「マン・マシン」シリーズ)

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AIや機械と人間の共生というテーマもこの展覧会の主題の一つだったと思う。



私たちが人間=生物である限り、生物学からは逃れられないのだろうか。

私は生物学や医学、生理学について今のところ無知だが、もっと学ばなければならないと感じた。それはいつか生物学が人間社会の教理となったときに、盲信せず批判(イチャモンではなく、カントの「理性批判」の意味で)できるために。

だがなれるものなら人形やアンドロイド、つまり無機物になりたいと今でも願っている。ホログラムでも良い。有機性から逃れた存在でありたい。そうすればより素直に、純粋な知的好奇心と共にバイオロジーと向き合える。