Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

白い布-布の庭に遊ぶ 庄司達

白い布は心を落ち着かせる。シーツはいつも真っ白だし、白い服を来ていると心がまっさらになったように感じる。白い布を見ているうちに心身ともに包まれたような心持ちになり、傷ついてざらついた痛みを叫ぶ魂も癒やされた。

布の庭にあそぶ 庄司達 @名古屋市美術館

色々なことが重なり心がささくれだっていた。暗いニュース、といえども戦火や事故のような明らかな悲劇ではなく、議論や、むしろ誹謗中傷の的になりがちな「問題提起」的なニュースを見るたびに腹を立て、野球の結果に対しても血圧を上げていた。挙句の果てには鏡に映る自分の姿を罵り続けていた。自分の身体を愛せないのは以前からのことだし、今後も愛すことは金輪際ないだろうが。
一方で嫌味なまでに晴れた空を見ていると、どこかに出かけなければ半ば脅迫的な思いにかられた。このままでは人生を壊しかねないと第六感とでも呼ぶべき感覚のためかもしれない。
外へ出ると強すぎるきらいはあるものの心地よい風が私の顔を掴んだ。このような晴天ならば、白川公園へ行こう。名古屋市美術館に行こう。そう決意して地下鉄駅へと向かった。

名古屋市美術館は一件ありふれたハコモノのようだが、実のところ黒川紀章建築だけあってところどころユニークだと感じる。渡り廊下や天窓は、ことに晴れた日には心地よい。

さて現在の企画展は「布の庭にあそぶ 庄司達」と題されたインスタレーションだった。「布の庭」との表題の通り、白い布が様々な大きさ、様々な手法で展示されている。


浮かぶ布、糸で吊るされた布(糸は見るべきものではなかったのかもしれない)、覆う布、包み込む布。いくつかの作品は布の下や間を通り抜け、触ることができる作品もあった。

また布の下をくぐった後上から見ることができる展示や、2階で俯瞰した後1階に降りてその構造を眺めることのできる作品もあった。
無限とも思える様相を見せる布に見入っているうちに、いつしか自身が白い布に包まれているように感じた。傷を覆う包帯や疲れた体を包むシーツのように、展示の布が私の疲れ果て傷ついてなお他者を傷つけようとする心身を包み込み、痛みを少しずつ消し去っていくように感じた。

あえて作品が持たされた意味や作者の意図は読まず、考えまいとしていた。ただ私にとってはあの布が癒やしであり、心を晴らすようなものであったというだけで良いと感じた。

会期は続くのでまた晴れた日に見に行こうと思った。再び白い布と相対する日に、私は何を感じるのだろうか。