Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

ロックンロール・ハイスクール(1979)-音楽の歓びとユートピア

※ネタバレ注意!!

初めて見た時、人生最高の映画だと思った。再び見ても、やはり人生最高の映画だ。

Rock 'n' Roll High School (ロックンロール・ハイスクール)


監督:アラン・アーカッシュ
製作総指揮:ロジャー・コーマン
出演:P・J・ソールズ(リフ)デイ・ヤング(ケイト)ヴィンセント・ヴァン・パタン(トム)メアリー・ウォロノフ(トーガー校長)ラモーンズ(本人)etc. 
名古屋シネマテークで鑑賞。誰もいなかったら踊りながら観ていた(なんとか我慢した)

この映画には音楽に触れた時の歓びや陶酔、魔術としての化学、棘はあるがとにかく愉快なブラックユーモア、圧政を敷く学校の破壊など、私の人生や美意識の大半が詰まっている。

リフとケイトのキャラクターと関係性

何よりリフとケイトの関係が理想的だ。全ての二人組は彼女たちを目指すべきだ。利害関係や嫉妬もなく、ともにふざけ合い悪行に勤しみ、でもお互いを何よりも思い合う二人の関係が私はとても好きだ。
アメリカの学園ものはスクールカーストが激しく、ケイトのような化学マニアはいじめの対象にされがちだと感じる(例えばドリュー・バリモアが出てた『25年目のキス』など)だがこの学校ではそんなことはない。グルーピーに「あんたなんか所詮チアリーダー」とバカにされていた、成績・素行不良の美少女リフとの友情は、おそらくリフが極度のラモーンズ・マニアだから成立していたのだろう。だが学校で誰もケイトの化学マニアやリフのラモーンズ熱を蔑まないのがとても良い。

リフのキャラクターは理想のロック少女だ。「記録更新中よ。反省室なんて怖くないわ」「天才は教科書を読まないのよ」など、一度は言ってみたい。「私は作曲家」「ラモーンズはみんな兄弟だけど、私は妹になりたい」と音楽やラモーンズへの愛を語るセリフもとても魅力的だ。彼女が曲を聞きながらラモーンズが家に現れる想像に浸るシーンは、まさにロックを聞く歓びの体現だ。また三日三晩チケット売り場の前に陣取って学校分のチケットを買い占めるエピソードも、彼女の人を惹き付ける魅力と度量の広さが感じられる。彼女の魅力の極めつけは校長室に居座った挙げ句、内申書の箱をチェーンソーで破壊し校長を挑発する場面だ!!!
ケイトは学園モノにありがちな単なる真面目ちゃんではない。化学の才能を悪用し、電線をつなげて学校中にロックを流すインテリ悪ガキで、口が上手くユーモアのセンスも抜群だ(補聴器とか欠席願とか)。何より彼女の一見秘められた暴力性・破壊衝動はなかなかだ。彼女は高校のアメフト主力選手トムとの恋愛成就を望むあくまで平和的なキャラクターだが、最後に学校の爆破装置を作ったのもまたケイトである。
(だから今回の劇場公開トレイラーで、リフばかり神格化されケイトがリフの単なるワナビー、あるいは子分のように編集されていたのは残念だった。確かにケイトはリフに比べればおとなしい"優等生"であるが、ケイトの魅力はそこにとどまらない(し、リフも彼女の魅力を好んだ上で対等な相棒として接している)。恋する少女、化学の天才、大人をおちょくるユーモアセンス、etc. ケイトもまた、『ロックンロール・ハイスクール』の魅惑的な主役の一人だ。)

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トレイラー。不満点を書いてしまったが、それでもこの映画の魅力を存分に伝える動画なのでぜひ見てほしい。

ヴィジュアル・ファッション面も最高だ。赤を基調にしたリフの服と金髪リボンは私の美意識に全力で訴えかけるし、ケイトの大きな眼鏡も現代ではファッショナブルだ。トムは眼鏡を外しライブ用の衣装と化粧をした彼女に惹かれるが、冒頭のメガネっ娘姿の時点で既に美しい。ラモーンズは言うまでもない。

単なる抑圧者ではない大人像

自由が欲しい生徒vs. 抑圧する教師・大人という単純な図式が引かれていないのもこの映画の魅力だ。トーガー校長はとんでもない暴君だが、大人全員が彼女に賛同して生徒を縛り付けようとしているわけではない。代表例が音楽教師のマグリーで、音楽そのものを愛していた彼はクラシックにとどまらずラモーンズにすっかりハマってしまうわけだが、ラモーンズにハマる前から校長の行動には「やりすぎだ」「常軌を逸している」と難色を示していた。(だからリフは彼にチケットを贈ったのだろう)
またパンクにのめりこむマグリーの姿は周囲から珍奇に見られていたが、「君たちは現代のベートーヴェンだ!」という(生徒たちはしらけた)賛辞をラモーンズが受け入れた所に、クラシック愛好家の大人がロックにはまり込んでいく姿を単に滑稽だと嘲笑せず音楽好きとして受け入れる、ロックの理想的な包括性が現れていて良かった。
また前半に登場した、一見強権的に見える体育教師も(「やりすぎ」と苦言したマグリーを「失礼だ」とたしなめつつ)校長の行動に対して眉を顰め呆れており、大人=圧政を敷く悪者、と短絡化していないことを示しているのではないだろうか。

実現不可能なユートピア

過去記事にも書いたが、私自身がかなり抑圧された学校で鬱屈して過ごしてきたため、その頃初めて見たこの映画は輝いて見えた。あの世界はあの時、いや今も私にとっての理想郷だ。
でも、今ならロックンロール・ハイスクールは実現しないだろう。私がこの映画を初めて観たのは2015年頃だった。鑑賞翌日学校で友人に「すごい映画があって、かくかくしかじかで最後は学校爆破しちゃうんだ!」と興奮気味に話したところ「頭おかしいの?」「学校を爆破するなんて危険だし犯罪だ」「学校を壊して何がしたいの?」と私の感銘は全否定されてしまった。
学校爆破まで行かなくとも、私もロックンロール・ハイスクールを目指し爆音でロックをかけたこともあった。ラモーンズは当時あまり聞いていなかったが、クイーンやツェッペリン、ストゥージズなどをかけた。すると教員が来る前にクラスメートにプレイヤーのコードを抜かれてしまったのだが、その理由は十分考慮に値する「音楽が好みに合わないから」「他にかけたい音楽があるから」「静かな環境がほしいから(休み時間はもとから騒がしかったが)」ではなく「先生に怒られるから」「学校でそんなことをしてはいけないから」だった。
みんな調査書が大事だったのだ。


※この映画の裏話を書いた記事が面白かったので、リンクを貼っておく。

『ロックンロール・ハイスクール』3分間のポップミュージックがくれる魔法|CINEMORE(シネモア) 楽しくて楽しくて多幸感のあまり思わず涙が出そうになる映画。高揚感のあまり思わずハイタッチをして喜びを分かち合いたくなる映画 cinemore.jp