Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

クラスTシャツの亡霊

何度も書いているが、私の通っていた高校は校則が厳しかった。学祭も同様であり、「祭」のはずなのに制約が厳しすぎ、祝祭要素をどこで見つければ良いのかわからなかった。当然服装も制服オンリーである。

さて、他の高校ではクラスTシャツなるものが制作され、学祭や体育祭で着るらしいという話を知った私は非常に憧れた。私だけではない、多くの同級生が憧れていた。制服は重苦しく身体を縛っていたので、単にTシャツを着たかったという気持ちもある。

今考えれば文学に親しみ厭世を気取っていたくせして私はクラス行事を楽しんでいた。毎年の担任には「ルークシュポールさんはクラスを引っ張ってくれていて頼もしい」と書かれていた。当時はどこを見てそう言っているのかと驚愕したが、今考えれば確かに各行事を楽しもうと奮闘していた。

だからクラスTシャツ制作にも前向きだったし、何ならデザインもやりたいと思っていた。当時は絵が下手でセンスがないから不適格だとみなされていたのだが。今考えれば、「Aさんは絵が得意だからデザイン領域はAさんのもの」「Bさんは絵が下手だから美術には関わらないで」的固定観念が強い集団だったと思う。正直なことろ息苦しかったし悔しかった。

誰がデザインするかはともかく、クラスTシャツは実現したかった。業者や集金方法を調べて実現可能なプランを作成したのだが、立ちはだかったのが生徒会だ。いや、生徒会は形ばかりでその背後にいたのは教員、いやむしろ母体の団体だったのかもしれない。

「校則で禁止されているためできません」

その校則を変えませんか、もう一度考え直すべき時に来ているのではありませんか、とこちらは言いたいのだ。彼らにとって校則はモーセ十戒のごとき不変の真実らしい。

校則と戦おうとしてできなかった話はずっと書いているのでここではこれで止めるが、そういうわけでクラスTシャツ計画は頓挫した。

大学で入った軽音系サークルはサークルTシャツ的軽薄な楽しさを軽蔑していたため、とてもじゃないがサークルT作りたいとは言い出せなかった。そもそも、馴染めなくてすぐに辞めた。研究室配属後は研究室Tの話もあったが、コロナで立ち消えた。

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なぜクラスTシャツの記事を書いているかといえば、私が今とあるオリジナルTシャツのデザインを手掛けているからである。あの頃からは考えられないが、photoshopillustratorもまがりなりに扱えるようになった。

もっとも、私の中に潜むクラスTシャツの亡霊が暴れ出し奇抜なデザイン案を連発したため実際の使用予定者からはクレームがついてしまった。何とか妥協点として、納得がいくデザインに着地することができた。現物が出来上がるのが楽しみだ。亡霊がおよそ10年ぶりに昇華しそうだ。

今の私がTシャツだけでなくパンフレットやら何やらのデザイン係と化していることを考えると、当時の自分に「諦めなくて大丈夫」と言葉をかけてやりたくなる。ある意味で夢の実現だ。絵だってあの頃よりは幾分かマシになった。自分を決めつけて諦めるべきではないという月並みの教訓は本当だったようだ。