Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

ピーター・マクフィー「ロベスピエール」感想

はや3ヶ月このブログを放置していた。tumblrの居心地が良かったので... とはいえ日本語で長文を書くのはここの方が良さそう。

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ロベスピエールは極端に評価が分かれる歴史人物の一人だ。「恐怖政治を率いた人の心がない残酷独裁者」と、フランス革命を否定する文脈では悪の象徴の如く扱われる。一方で熱心な支持者やファンも多く、著者によれば「ロベスピエールに関して肯定的な評価を下す伝記に共通する前提は、彼のすべての行動は、反革命に対する適切で必然的な反応であったというものだ。(p. 15.)」という。著者のピーター・マクフィーはロベスピエールに一貫して同情的なスタンスをとるものの、とはいえ盲目的にすべての彼の言行を肯定することはなく、ときには彼の欠点や犯した間違いを指摘し批判すべき点は批判する。

テルミドールのクーデターは起こるべくして起こったのか

本書を手に取った興味の一つとして、テルミドールのクーデターがどのような経緯で起こったのか知りたかった。ロベスピエールと仲間たちが邪悪だからではなく、かといって"悪しきテルミドリアン"たちの陰謀の結果と単純化された見方にも納得できなかった。本書を読んで、この出来事は起こるべくして起こってしまったのだという感想を抱いた。

地方で行った過度の暴力をロベスピエールに弾劾されることを恐れた派遣議員たちが彼の打倒を狙ったことに加え、

フルーリュスの戦いの勝利により、フランスは軍事的危機を脱した

革命政府の独裁体制の終結と1793年憲法の施行を望む風潮が高まるが、ロベスピエールらは体制を戻そうとはしなかった

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誰もが「革命の敵」として処罰されるかもしれないという、議員たちの不安を煽る曖昧な脅しのような発言をロベスピエールが繰り返す

議員たちが自らの身の安全を不安視し、もともと敵ではなかった人や友人まで敵に回すことになり、クーデターに至った

という流れのようだ。

この破滅に至るまで、ロベスピエールにも判断ミスや落ち度は少なからずあった。単なる政府批判だけで処刑されかねないプレリアル法は多くの議員たちに反感と恐怖を抱かせたようだ。晩年のロベスピエールは「反革命の陰謀」という言葉を多用し、「意見の違いと裏切りの区別がつかなくなっていた (p. 334.)」。その中でも彼を支持する声も少なからず寄せられたようだが、そのような賛意にも背を向けてしまったことも致命的だったのではないだろうか*1。クーデターの中で彼の友人だったアンドレ・デュモンが発したように。

「君を殺したいと思っている者などいない。」彼は叫ぶ。「世論を殺そうとしているのは君だ!」(p. 330.)

マクフィーは1794年春からテルミドールに至るまでのロベスピエールの相次ぐ致命的な判断ミスを心身の疲弊*2に帰しているが、もう少し上手く立ち回っていればスケープゴートにされることなく、もっと穏便な形で独裁から通常の立憲体制に移行することができたのではないかと残念に思う。

革新的な人物が周囲の声を聞かずに孤立し、破滅(自滅)に至る点で、セリーヌの「ゼンメルヴァイスの生涯と業績」を思い出した*3

とはいえ、それでもロベスピエールが顎を砕かれたまま苦悶のうちに処刑され、同時代人や後世の人々から罵られ続けるに値する人物だとは到底思えない。そして著者が憤っているのはクーデターよりもむしろ、彼の死後になされた無数のいわれなき中傷であるように思われる。

現実主義者としてのロベスピエール

本書でも「彼は、あたかも脳みそが歩いているかのごとく、統一的で完全無欠な思想の代弁者であるかのように書かれることがあまりにも多」い (p. 358.) と書かれているように、賛否どちらの文脈でもロベスピエールは「理想主義者で、その理想に反する/ついていけない者たちをふるい落としていった」ように描かれがちである。しかしながら、著者によればロベスピエールの特徴はむしろ現実主義にあるという。

ロベスピエールの革命家としての特徴は、革命の最も重要な目的地をはっきり提示できる能力と、 鋭敏な現実主義にあった。一度宣戦布告がされれば戦争を支持し、王政が倒れれば共和政を支持し、 自身が政府に加わるまでは街頭での抗議行動を認めていた。(p. 318.)

現実を無視せずに理想を提示できることが彼の強みであり、晩年の失態はその均衡を失ったからだと著者は指摘する。この視点は往々にして見逃されがちである。

もっとも本書を読む限りでも、「神経質」「人付き合いが丁寧ではない」「話がくどく説教臭い」など、彼は社交上、そして政治に携わる上で障害になりうる欠点も持ち合わせていたように思われる。ただし彼に少なからず友人や支持者がいたことを考えると、これらは社会生活を送る上でそれほど重大ではなかったのではないか。革命に身を投じその中心にたどり着いた、もとは「我々と同じような普通の人」としてのロベスピエール像を再確認できた。

成長した子どもたちは聖人や悪魔ではなく大人になる

この本が優れているのは、ロベスピエールに限らず一人の人物を論じるときに一面的な見方に陥るべきではないと示しているところだ。

われわれは何より先に、マクシミリアンもかつては一人の小さくて弱々しい子ども であり、大人になった子どもたちは、聖人や悪魔になるのではなく、男や女になるのであるということを忘れてはいけないだろう。また、誰か具体的な人間の行動を説明するのに、心理分析的なカテゴリを乱暴にあてはめることには慎重であるべきだろう。母親の死*4という悲しい状況が、小さな男の子に与えたかもしれない心理的なダメージを、誇張するようなことがあってはいけないのである。(p. 357)

歴史人物や有名人、あるいは友人・知人について考えるときにはつい単純化したり、人生の中で起こったある出来事の影響を誇張して考えてしまうのは私もやりがちなので、(特に創作や趣味ではない、事実ベースの歴史学あるいは学術研究の場では)留意しなければならないと改めて思わされる。また「成長した子どもたちは聖人や悪魔ではなく大人になる」というのは映画「ロスト・キング」で提示された歴史観にも相通ずるものがあると感じる。SNSなどで検索すれば否応なしに目に入るように、ロベスピエールを"人の気持ちが分からない残虐な暴君"と扱う(フランス革命に否定的な)言説は今日でものさばっている。一方で(日本には少ないが)現代のロベスピエール支持者には、「ダントン事件」*5の著者である20世紀ポーランドの作家スタニスワヴァ・プシビシェフスカの見解*6をそのまま信じ込み、ロベスピエールは何一つ間違ったことをせず、悪いことはすべてダントンのせい(で、デムーランはロベスピエールのもとに帰るべきだったのに彼に騙された被害者)との極端な見方をする者も少なくない*7。著者がこのような、(ダントンに限らず)他の誰かを絶対的な悪人や敵として非難するような立場を取らなかったことはそれだけで称賛に値する。この本がなければ私はロベスピエールを「統一的で完全無欠な歩く脳みそ」として嫌いになっていたかもしれない。

最後に、このような本を日本語で読めることに感謝したい。私には幸いにも英語やフランス語で読める能力は(一応)あるとはいえ、それでも母語で読めるのはありがたいことだ。

*1:彼の支持者が発した「全フランス人が君の味方だ!」という声に対しても「私は自分の熱心な支持者も、崇拝の言葉もいらない。」とのみ返したという。もっとも1791年に彼の母校であるルイ=ル=グラン校の生徒たちが彼の栄誉を称えリースを贈った時も「あなたがたは自由な国民であることを忘れたのですか」と感謝するどころか憤った (p. 159.)ので、称賛されるのがもとから嫌だったのかもしれない。

*2:著者はこの原因を愛情と尊敬を覚えていた友人であるダントンやデムーランとの対立および彼に対し相次いで行われた暗殺未遂事件としている。また著者はロベスピエールの判断ミスの発端を、汚職や横領に関わった者のリストに無関係のデムーランを入れ、彼を死に追いやったことだと指摘する。

*3:もっとも史料をふんだんに参照し、丁寧に歴史的事実を追う本書と比べ、セリーヌの著作は史実の歪曲や創作が多分に含まれ、発表当時から誤りが指摘された。

*4:ロベスピエールは5歳の時に母親を亡くし、悲しみに耐えかねた父親はアラスを出奔した。著者によれば、残されたロベスピエール兄弟は親戚によって手厚く育てられたという。

*5:1983年の映画「ダントン」の原作。ただしロベスピエール賛美の原作とは異なり映画はダントンを擁護するもの「ということになっている」(が、私には到底そうは思えない)。

*6:ファンダムでデムーラン人気が高いことを鑑みると、彼を低評価したマティエよりも同情的に扱った彼女の影響の方が大きいだろう。

*7:私個人としてはフランス革命の定番ネタとなったロベスピエールvs. ダントンの構図設定そのものに疑問を抱いている。ミシュレやマティエvs. オーラール論争あたりの影響なのだろうが、現代の我々がそれにとらわれ続ける必要はどこにもない。