Sans terreur ni vertu

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

東京展覧会探訪part.Ⅱ-未来と芸術展

マル秘展を後にして所用を済ませ、夜に森美術館の未来と芸術展を訪れた。

この展覧会はバイオロジー的視点から未来と人間を考える作品が目立つように感じた。

集合住宅を居住者の深層心理を読み取って建築するというプロジェクトである「気分の建築」には(記憶違いでなければ)「これまでの機械や有機的、生物学的アプローチから理想の建築を作る」といったキャプションがあり、立てられる集合住宅には居住者の生理的情報も組み込まれているとされていた。

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そのまま「バイオ・アトリエ」と称した一角では、微生物の塩基配列をもとに製作されたやくしまるえつこの「わたしは人類」が流れていたり心臓を聖遺物のように扱った展示作品(エイミー・カール「エンメッシュメント(生命と愛のもつれ)」、ゴッホの耳を子孫のDNAから再生した展示物(デイムート・シュトレーベ「シュガーベイブ」)があった。

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臓器つながりで言えば、作者の細胞由来のips細胞から生み出された人工の脳が植え付けられたシンセサイザーの演奏が流されていた。(ガイ・ベン=アリ「cellF」)

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キービジュアルになっている「H.O.R.T.U.S. XL アスタキサンチン g」は3Dプリンターで出力した造形物に微細藻類を埋めこんだ"バイオ・スカルプチャー" だという。

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これらのバイオロジーに関連した展示に私が感じたのはある種の不気味さ、恐ろしさだ。

思えば昔から生物学や医学、生理学が怖かった。中学、高校時代で1番苦手だったのは保健だが、受験科目系の教科では生物が最も苦手で高校は文系にも関わらず物理選択だった。(物理学自体が好きだったのに加え理系学部への進学の道をギリギリまで閉ざしたくなかったからだが) その生物学や医学、生理学への苦手意識は恐怖心に由来したものではないだろうか。その要因として、まず自らが生物、あるいは有機物であることに対する抵抗意識があった。自分の体が細胞から構成されて食事や運動、睡眠時間やストレスなど日々の生活によって変わっていくことを嫌悪していた。さらには二酸化炭素やその他老廃物を排出し、時には腐り果ててしまうことが怖かった。

また自然や動植物の生態に学べとか、人間/生物はこうあるのだからあなたもこうすべきだという(所謂「自然主義の誤謬」に属するような)言説に対する腹立たしさと反抗心も強い。誤謬と言われているように「ある生物はこのような生態を持っているから人間もそうすべきだ」という論理は誤りであるのだが、それでも世間的な噂や教訓としてこれらの言説は未だに強力だ。人間も生物、有機物であるのは事実なだけに説得力が強いのだろう。私が怖いのは「〜すべき」という内容が正しいか否かということではなく、「我々人間も生物だから」という理由がこの社会の行動規範と化して私たちを縛り付けるのではないかということだ。我々は生物なのだから自分たちの遺伝子を残さなければならない、次の世代のために生きなければならない、子孫を残さなければならない…

現在はAIやコンピューターが社会の道標になっているが、将来的には生物学が人間世界の新たな神や教義になるのではないかというおそれを感じた。今はAIやコンピューターに対する反論もなされ議論も活発だが、生物学的規範は「人間も生物である」という理由で疑いがさし挟まれることも少ないまま受け入れられてゆくのではないだろうか。生物学の学説は研究によって絶え間なく更新されてゆくのだろうが、生物学は人間の規範であるという言説は揺らがずに確立し続けるように思える。


とはいえこの展覧会は"バイオロジー教教会"ではない。ヘッダーはAIにイスラム圏の装飾(ムカルナス)パターンを学習させた作品(ミハエル・ハンスマイヤー「ムカルナスの変異」) だが、不気味さ(集合体恐怖症的性質が強いのではないか) とともに人間の手掛けた抽象美術や宗教建築に近い崇高さを感じた。(モスクなどイスラム圏の建築や美術に直に触れた経験はないので、それらの実物を目にした後ではまた異なる感想を抱くのかもしれないが) 

またロボットが人間社会に溶け込んだ様子を描いた作品もあった。(ヴァンサン・フルニエ「マン・マシン」シリーズ)

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AIや機械と人間の共生というテーマもこの展覧会の主題の一つだったと思う。



私たちが人間=生物である限り、生物学からは逃れられないのだろうか。

私は生物学や医学、生理学について今のところ無知だが、もっと学ばなければならないと感じた。それはいつか生物学が人間社会の教理となったときに、盲信せず批判(イチャモンではなく、カントの「理性批判」の意味で)できるために。

だがなれるものなら人形やアンドロイド、つまり無機物になりたいと今でも願っている。ホログラムでも良い。有機性から逃れた存在でありたい。そうすればより素直に、純粋な知的好奇心と共にバイオロジーと向き合える。





東京展覧会探訪part.Ⅰ-マル秘展

用事があったので東京に行き、ついでにいくつか美術展を巡ることにした。東京にいくといつも私は美術館を訪れてはハンバーガーを食べている気がする。(ハンバーガーについてはまたあとで)ここでは始めに訪れたマル秘展について記す。建築や空間デザインなど全てが興味深かったが、特に私の印象に残っているものを挙げる。

まずは深沢直人のプロダクトだ。彼の手掛けた製品について、まず初めに思いつくのはINFOBARだ。2010年ごろに出たスマートフォン版をauのカタログで見つけた時、まだ小学生だった私は「携帯なのにこんなにおしゃれなんて」と驚いた。その後ガラケー時代のINFOBARを写真で見たときは、「もしこの時代に高校生だったら絶対これを持っていたのに」と悔しがった。(ガラケーが主流だがスマートフォンが普及しはじめたころの携帯カタログを見るのが好きだった。今ではどのスマートフォンも大体同じような見た目だが、あの頃の携帯デザインは特徴的なものが多かったと思う。(auの過去のプロダクトのページを見ていたらあの頃のわくわくした気持ちを思い出した。)

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また小学校の図工か中学校の美術かどちらかの教科書(よく覚えていない)の中でバナナなど果物の皮がそのままデザインされたジュースのパッケージを見たときには、そのようなパッケージがこの世に存在することに驚き、実物を見てできるなら手にしたいと思った。今回の展示でバナナのパッケージを見ることができたのは嬉しい再会であった。(手には取れなかったが)

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近年のElements of Life 生活分子系列という雑貨やインテリアのシリーズ?も気になった。いつかこのように統一されたインテリアの中に住みたいと思った。直線と丸のみが用いられ、黒一色というところが気に入った。元々ゴス的な意味で黒い空間に住んでみたいと思っていたのだが、近年はゴス系インテリアでありがちな装飾過多よりも、直線的なシンプルさに心惹かれる。

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それだけですでに完成したイラスト作品のようだったのがsuica改札機のデザインを手掛けた山中俊治のデザイン画だ。カメラのコンセプトアートにはロボットの頭部のような印象を受けた。また山中はいくつものロボットも手がけたようだが、そのコンセプトアートはそれだけでSFイラスト作品のようだった。

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実際に使ったことがある製品の制作過程として興味深かったのは、柴田文江によるカプセルホテル、ナインアワーズの構想案だ。ナインアワーズは数回利用しているが、極力文字が少なくピクトグラムが用いられた、雑然さとは程遠いシンプルな案内やポッドの近未来的デザインと寝心地の良さが両立している所が気に入っていたので制作過程を見ることができて良かった。基本的に私は直線的デザインが好きだが、近未来的要素(ナインアワーズで具体的に挙げれば白いプラスティック、照明etc.) が持つ適度な曲線には安心感を覚える。ナインアワーズの場合は「寝る場所」だから余計に快く思えるのだろう。

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ナインアワーズの魅力は文字の排除とピクトグラムやマークの使用によるシンプルさだと上に書いたが、この展示では数人のピクトグラムロゴマークのスケッチやデザイン画があり、それも興味深かった。(写真のピクトグラム原研哉東京オリンピックエンブレム案、ヘルプマークは永井一史)

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今回様々なデザインを見ることにより、私は

・モノトーンか、色があるなら1,2色

・曲線よりは直線、曲線でもできるだけ線が少ない方が好ましい

・雑然さを回避したシンプル

なデザインに心惹かれることを改めて自覚できた。パステルカラーより原色が好きなのも「できるだけ濁っていない方がいい」からで、黒を選んでしまうのも無難だからというより「一番我を突き通せる色」だと思っているからなのだろう。(世間では黒は無難だと思われているが、グレーや茶、くすんだパステルカラーの方がはるかに無難ではないだろうか。)

しかしその一方で私はナインアワーズのポッドや山中俊治のデザイン画のような、(SF映画などで見受けられる)無機物の中の有機的な要素にも強く魅力を感じ、ある種の安らぎを覚える。無機質の中の有機性という点では、ピクトグラムロゴマークも当てはまるだろう。それらは単純な図形、点や線だけから成り立っているにもかかわらず様々な事柄を意味し、時には躍動感を持ちながら人々の想像を掻き立てる。

つまり私は基本的に無機質なデザインが好きで、その上で時折現れる有機性に魅力を感じているのだろう。その事には完成された製品を見るだけでもある程度は気づいていた。しかし制作過程のデザイン画や構想スケッチ、企画書や設計書を見ることでそのような嗜好をより具体的に言語化して認識できたのではないかと思っている。

これまでもプロダクトデザインやロゴマーク、建築の完成品を見たり、デザイナーや作家たちの言行録や書籍には触れてきたが、構想段階の絵や図、メモなどにはあまり着目してこなかった。(「作者の死」ではないが、私は生み出される過程よりも世に出たモノや、それが周りに与える影響の方を重視していた) このマル秘展でモノが生み出される構想段階を知ることの面白さを知ることができたと思う。モノが産み出される思考の過程を辿っていくことは知的好奇心にとって良い刺激だと思った。


そして文学研究における、(大きな声では言えないが、これまで何の意味があるのだろうと思っていた)作家の草稿研究の面白さや意義も少し理解できた気がした。

マイ・ブロークン・マリコ

マイ・ブロークン・マリコの単行本を買って読んだ。

発売日にキャンペーンをしていた本屋の通販(生協で受け取るやつ)で買おうと思ったら売り切れで、京都の恵文社一乗寺店で見かけて手に入れた。ちなみにそれから3週間後くらいにイオンの本屋に山積みになった光景を見た時は驚愕した。

(以下ネタバレあり)


私はシイノがまりがおか岬から転落する場面から、マリコの死は自殺ではないかもしれないと思った。シイノはまりがおか岬で投身自殺を試みるものの痴漢に追いかけられる少女を見つけ、痴漢を倒そうとし、勢い余ってマリコの遺骨を空に散らしながら岬から落ちた。彼女が岬から飛び降りたのは結果的には自殺するためではなかった。もしマリコが自殺したのだと断定されていたら、シイノは死のうと思いながら飛び降りたか、あるいは飛び降りなかったのではないか。冒頭のニュースではマリコの遺体からは睡眠薬が検出されたと報じられていた。しかしかつて手首を切ったように、彼女は本気で死ぬつもりはないまま睡眠薬を過剰摂取したあと、誤って落ちてしまったかもしれないし、恋人か誰かに殺されてしまったのかもしれない。

シイノはいつもマリコを助けに行くが、結局マリコはいつも助からない。中学生の時花火の約束に現れないマリコを迎えにシイノはマリコの家まで行くも、花火には連れ出せない。大人になってから一度はDV彼氏をシイノが撃退しても、再び彼氏に会いに行ったマリコは骨を折られ財布を奪われる。シイノがマリコを助けられるようになっても、マリコは悲劇の中に留まる。マリコはシイノが助けに来るも、結局は助からない状況を望んでいたのではないだろうか。死もそうだ。マリコはシイノに死を匂わせる連絡はとっていない。シイノはもしマリコが(自殺他殺問わず)死のうとしていたら何もかも投げ出して助けに行っただろう。

またマリコの父親の再婚相手としてタムラキョウコという女性が登場する。彼女は良心的な人物として描かれ、シイノは「もっと早くこの人が家に来ていたらマリコもこんなことにならなかったのでは」と思う。作中の描写からしても、キョウコはもしマリコが助けを求めたらそれに応じたのではないか。にもかかわらずマリコとキョウコの間に交流があったようには思えない。(シイノもキョウコについては存在しか知らなかったようである)マリコはシイノ以外の助けを拒み、さらにはシイノの助けを感じつつもそれ裏切りついには死んだのではないだろうか。自身が言うように、マリコは「ぶっ壊れてい」てシイノの存在以外に実感がなく、またシイノ以外の実感など要らなかったのだろう。

もしかするとマリコはシイノ以外の何かを実感するかもしれない状況にあったのかもしれない。マリコの死は、シイノだけを実感しつづけるためのものだったのではないか。シイちゃんはきっと助けに来てくれるだろうけど私はもう終わりというような。

…となるとやはりマリコの死は自殺なのだろうか。一応事故や殺人でも成り立たないことはないが。

「聴き直して」刺さった音楽

初めて聴いた時は心が動かず流したままにしていた音楽が、時を経て聴き直してみると刺さることが特にこの1年くらいの間よく起こっている。以前よりも好きな音楽の幅が広がってきたのだろうか。いくつか最近「聴き直して」刺さった音楽を書いていきたいと思う。

The Virgin Suicides - Air

映画ヴァージン・スーサイズのサントラ。Airは去年フランスに行った時に、ストラスブール大学の日本語学科の学生からおすすめのフランスの音楽を聞いたときに教えてもらった。そのときは現在よりもギターロックを求めていたので、一度聴いたけれどしばらく忘れていた。Airを再び聴き始めたのは美容室でCherry Blossom Girlを聞いて良いと思ったからである。色々漁ったが、今のところこれと(Cherry~が入っている)「Talkie Walkie」が好きである。因みに映画も見たが、確かにあの世界観は好きだがバイブルにはならないと思った。原作小説は昔読んで、そのときは気に入ったので残念だった。ソフィア・コッポラ監督の映画は「マリー・アントワネット」と「ブリングリング」を観たが、どれも「好きだが刺さるほどではなかった」。ファッション誌のLARMEもそうだが、あの手のガーリー感に今一つ嵌ることができない。少しくすんだパステルカラーの色調になじめないのだろうか。(「ブリングリング」はもっと原色感があった気がするが)

Okovi - Zola Jesus

ゾラ・ジーザスを知ったのは作家のゾラについて調べていた時にたまたま彼女のインタビュー記事をに行き当たったがきっかけだったと思う。彼女のヴィジュアルイメージと言行に興味を持ったので聴いてみたが、想定していたものと違ったのでしばらく放置していた。最近になってグライムス批判の記事でその存在を思い出し、聴き直した。エレクトロニック、インダストリアルなサウンドととストリングスや彼女の伸びやかな歌声が白黒世界において無機物と有機物がからんでいくようで面白い。音からイメージして北欧か東欧出身だろうかと思ったらアメリカ、ウィスコンシンの森の中で育ったらしい。

eureka - きのこ帝国

きのこ帝国は昔Twitterで勧められて「猫とアレルギー」を聴いて放置していた。解散の知らせも受け流していたが、最近になって和製シューゲイザーが聴きたくなって「eureka」に出会った。シューゲイザーは元々好きだったがバニラアイスが少し溶けている色つきソーダ水のような切ない爽やかさに傾きがちなところだけは敬遠していた。私はシューゲイザーに、マイブラ的な息の詰まる濃密な暗さを求めていた。きのこ帝国はポップなイメージが強かったが、これは確かに呼吸のできる爽やかさはあるが、夜空の暗さを思わせるところが気に入った。一曲目に「星めぐりの歌」が出てきて宮沢賢治のことを思い出したが、彼の作品は教科書やら学校に来た劇団のせいで「朴訥で素朴な童話」という先入観を持っていたが、考えると底知れぬ暗さと冷たさを称えていると感じた。

このように書き出してみると、この心境の変化は私が以前よりもギターロックを求めなくなった、或いはポップ志向に寄ったからではないかと思われる。きのこ帝国のところで書いたような爽やかさを許容する(というよりむしろ求める)ようになったようにも思われる。

しかし考え直してみると、最近に限らず私が好きな音楽はほとんど「一度スルーして、あとから嵌る」パターンであるような気がする。(覚えている限りだとBauhaus、Grimes、The Novembersなど)インプットしてからの反応が遅いのだろうか。それとも既に何かに夢中になっている状態であることが多いので、新たなものを受け入れる隙間ができるのに時間がかかるのだろうか。

この現象で困るのは、人から何か勧められた時に良い反応をすぐ返せないということである。しかし勧められたものに後から猛烈に嵌ってしまうと、今更その話をできなくなってしまう。「あなたが勧めたこれが今になって心に落ちた」と伝えたいが、あまり親しくない人だと特に、改めて言いだすのは気恥ずかしい。また少し前に流行した音楽の良さを時間が経ってから見出すと、「今更感」を覚えて少し悔しくなる。音楽の趣味は人に見せびらかすものではないし、勝ち負けではないのは分かってはいるのだが。

しかしながら音楽に、新たな出会いだけでなく聴き直して再発見する楽しみがあるということは喜ばしいと私は思う。

菊とギロチン

昨年末に映画、菊とギロチンを観た。本当は昨年の夏にシアターキノで見る予定が、その日の早朝に胆振地震とブラックアウトに見舞われて観ることができなかったのだ。その時は気づかなかったが、本作も関東大震災後が舞台なので何かの縁だったのかもしれない。

(決して時事ネタ便乗ではないことだけは記しておく。そして

この映画のテーマの一つは友情だと私には思われる。ギロチン社と女相撲それぞれの側に友情について考えさせられる場面があったと思う。

最も心に残った場面は中浜哲逮捕後に古田大次郎と倉地啓司が爆弾を試作するところだ。試作品を爆発させた後、倉地は一度は逃げ出した自分のことを馬鹿にしているだろうと古田に詰め寄り、ギロチン社で集まっていた時も愛想笑いと相槌ばかりでまともに話したことはなかっただろうと責める。

「お前 いっぺんでも みんなのこと考えたことあった?」

「けど俺はそんなん屁とも思ってへん 俺という人間の素晴らしさをお前なんかにわかってたまるか 友だち面すんな!」

倉地はそう言い放つと古田を無視して爆弾の改善点を探る。だが古田が

「鉄さんがいなくなって 俺一人でどうしたらいいか分かんねんだよ!」

と叫ぶと倉地は

「お前 今 一人だって言うた? お前 今 俺無視しとるやんけ!

俺 誰も無視してへんぞ(略)あの中浜が 死刑になって 死んじまったらどうなるか 考えるんよ 

俺 あのクソ野郎が死刑になって死ぬのが悲しいんよ」

「じゃあ 俺はどうすればいい 俺は人一人殺したんだ 死刑になった方がいいだろ」

「違うわ お前だって死ぬのは俺はイヤやわ」

(字幕から抜粋)

古田はずっと「一人で」テロを起こし死ぬことだけを考えていた。元々ロクに行動も起こさず遊んでばかりのギロチン社の中でも浮いていたようだし、誤って殺人を犯してからは一人で行動を起こそうとする傾向はより強まったのではないだろうか。だが彼の周辺にいた人々は古田が一人で死に向かって突き進んでいくのを抑えようとしていた。女相撲を最初に観戦したあと一旦別れるときに村木源二郎は「決して命を粗末にするな」と古田を諫めるし、中浜も古田を一人で死なせないように頑張っているようだった。古田が正力を暗殺しようとしたところで最後まで着いてきたり、朝鮮で爆弾入手に失敗した後資金を得ようと再び大阪でリャクを試みたのも古田「一人に」テロをやらせたくなかったからだろう。しかし古田は彼らの「一人で死んでほしくない」という気持ちには気づいていなかったか、気づいていても心の中から振り払っていたように思われる。古田は自分の世界には自分ひとりしかいないと考え、倉地の言うように周りの人々の存在を無視していたのではないだろうか。それは古田が大きな信頼を抱いていたように思われる中浜に対しても同様であったように思う。彼は中浜を同じ信条を持ち、同じ目的に向かう同志とは考えていても、実は「一人で死んでほしくない」と考えてくれるような友人とは考えていなかったのではないだろうか。

このシーンのあとに倉地が出る場面もないし、ギロチン社の活動もエンドロールまで描かれることはない。そういった意味ではこのシーンは唐突な感も否めない。だがこの後古田は玉岩興行から夫に連れ戻された花菊をボロボロになりながらも救い、再び土俵に立つように促す。倉地に「死んでほしくない」と言われた古田は彼のみでなく中浜や村木の「古田に死に急いでほしくない(=生きてほしい)」という気持ちを理解し、その上で「好きな花菊に少しでも思うように生きてほしい」と思ってあのような行動に出たのではないだろうか。

いくつかこの映画の感想を読んでもこのシーンを取り上げているものはほとんどなかったし、小説版でも割愛されていたように記憶している。しかし私は古田と倉地のこのシーンが作品の最も重要な場面だと思う。

女相撲側では、小桜が(捜索願が出されていたので)警察に連れ戻されるとき、亭主に頭なんて下げないと言い放ち警察に暴行される彼女に対して力士たちが「小桜負けんなよ!」と激励するシーンが印象に残っている。その前の場面で小桜が花菊に話しかけたあと、ほかの力士が花菊に「小桜は女好きだから気を付けて」とくすくす笑いながら言うシーンがあった。このシーンを見たときは虐げられてきた女性たちが集まった女相撲興行でも、さらに少数者を差別して好奇の対象にするのかと少し失望した。

その後も十勝川が勝手に売春で金を稼いでいたことを糾弾される場面で、「十勝川朝鮮人だから」と出自をあげつらわれていた。(ちなみにこの時小桜は「朝鮮人だろうが何だろうがどうでもいい」というようなセリフを吐き捨て、十勝川の出自にも行動にも関心を向けていなかったように思われる)しかし十勝川在郷軍人たちに連れて行かれる場面で、力士の一人が「すぐ帰ってこれるから」と彼女に法被をかぶせ、励ますシーンがあった。(その前の古田と中浜と避難民のとのやり取りから、朝鮮人たちが拷問され殺されたことは周知の事実ではなく、力士たちも十勝川が暴行されるとは思っていなかったのだろう)

倉地と力士たちを見て、「綺麗ではないが、強い友情」が伝わった。倉地は中浜をクソ野郎と罵り、力士たちは自分たちと違う者を中傷する。だが倉地は中浜が死ぬのが悲しいと言い、力士たちは同僚が危機に瀕すると激励する。それこそが友情の本質ではないだろうか。そしてこの友情こそ、この閉塞する世の中の突破口になりうるものではないだろうか。


バルザック『娼婦の栄光と悲惨』とラスティニャック

バルザック「人間喜劇」の『ペール・ゴリオ』『幻滅』『娼婦の栄光と悲惨』の通称’’ヴォ―トラン三部作’’を読み終わった。色々語りたいところはあるが、最も印象に残った『娼婦~』とラスティニャックについての感想を忘れないうちに書き留めておく(なお、全て藤原書店バルザック「人間喜劇」セレクション版で読み、引用文の出典元もそれからである)。いきなり結末シーンについて書いているので、未読の方はネタバレ注意である。

リュシアンの埋葬に立ち会ったラスティニャック

獄中で自殺した(表向きは病気で突然死ということにされた)リュシアンの埋葬にラスティニャックは立ち会う。しかし本文でも描写されているようにに葬儀の時、埋葬まで立ち会う人数は一般に少なくなるにもかかわらずラスティニャックは立ち会っているのだ。しかし一見すると、彼は一見すると世渡り以外には興味がないように描かれている。そんなラスティニャックは、なぜわざわざリュシアンの埋葬にまで立ち会ったのだろうか?理由はいくつか思いつくが、まず考えられるのはヴォートランの心象を損ねたくなかったからという理由だ。『娼婦~』の冒頭でラスティニャックはヴォ―トランに「もしもあんたがリュシアンを愛する弟のように振る舞わないとしたら、あんたはこちらの手の中に落ちるのだからな」(娼婦 :p. 17)と脅されていた。だがリュシアンの死の時点でヴォートランが逮捕されていたことを彼は知っていたはずである。(ただし、『ペール・ゴリオ』で逮捕されたのちに社交界で再会しているので、再び復活するかもしれないと考えていた可能性はある)

もっとも、ラスティニャックの参列をヴォートランは予期していなかったように思われる。墓地で彼の姿を見たヴォートランは「あの子に変らぬままでいるのは、いいことだ」「おれは君の奴隷になってもいい。君がここに来ているという、それだけのためにね。(略)おれはいつまでも君の役に立ってあげることにしよう。」(娼婦: p. 816)と墓地まで彼が来たことに感激している。だがラスティニャックの方もヴォートランの出現に驚き、嫌悪を示し離れようとしているので、ヴォ―トランに今後助けてもらうために埋葬に立ち会ったとは考えづらい。

ラスティニャックが墓地までやって来たのはヴォートランのためというよりもむしろ、彼自身がリュシアンに対し思うところがあったからではないだろうか。二人ともアングレーム出身で、パリではじめ貧乏生活を送ったのちヴォートランに出会って人生が変わっていく(付け加えれば両者とも容貌が優れている)。ラスティニャックは上手いこと彼のアドバイスを利用しつつ、人間関係を築くことも含めた自らの力で出世街道を邁進していくが、リュシアンは一時の(2回も!)栄光を掴むもすぐに失敗し、ついには命を落としてしまった。初めは薬屋の息子だと周囲に暴露し馬鹿にしていたが(『幻滅』)ヴォートランの息がかかっているということもあり、次第にラスティニャックはリュシアンに自分と近しいものを感じ、死んだリュシアンに「失敗した場合の自分の姿」を見たのではないだろうか?

ラスティニャックという人物は「純真な青年が野心家へと変貌した」例としか語られていないように感じている。だが彼の人物像はかなり複雑さを有しているのではないだろうか。『ペール・ゴリオ』の結末付近では、「超能力を持っていても知らない中国人は殺さない」と答えた友人ビアンションに対して「いつまでも友達でいような」という言葉をかけている。今回のリュシアンの葬儀の場面と合わせて、ラスティニャックは単なる欲得ずくの野心家ではなく、複雑な内面も持ち合わせるように描かれているように感じた。

’’ヴォ―トラン三部作’’の終わり

小説の結末にはヴォ―トランの顛末が書かれているものの、その描写は簡潔で後日譚的であるためリュシアンの葬儀シーンは『娼婦~』の事実上のラストシーンと言っていいだろう。『ペール・ゴリオ』『幻滅』『娼婦~』を’’ヴォ―トラン三部作’’と括ったのは作者本人ではないようだが、リュシアンの埋葬時に(再び逮捕されたが今度は警察として働くことになった)ヴォートランと(名士になった)ラスティニャックが言葉を交わすのは、『ペール・ゴリオ』における二人と対照的である。またペール=ラシェーズにおけるリュシアンの埋葬という場面設定も、『ペール・ゴリオ』のゴリオの埋葬と対になっていると見ることができ、’’三部作’’の終わりにふさわしいのではないだろうか。

この三部作はヴォートランを中心にはしているが、同時に(『ペール・ゴリオ』のみならず後の2作品においても)実はラスティニャックも中心となっているのではないかと感じられた。

・人物表記について

ここまで登場人物たちを「ヴォートラン」「ラスティニャック」「リュシアン」と表記してきたが、よく考えるとこの表記は不規則である。ラスティニャックはファミリーネーム であるがリュシアンはファーストネームであり、「ヴォートラン」という名が使われるのは主に『ペール・ゴリオ』で、『娼婦~』で彼は偽名カルロス・エレーラおよび本名ジャック・コランと呼ばれる。だが藤原書店の『娼婦~』のサブタイトルは「悪党ヴォートラン最後の変身」であるし、またこの人物はヴォートランの名が最も知られているので、ここでも「ヴォートラン」と表記した。

また「人間喜劇」中でラスティニャックの名前はずっと「ウジェーヌ・ド・ラスティニャック」のままである。(また『ペール・ゴリオ』ではウジェーヌと呼ばれるが、『幻滅』以降はずっとラスティニャックと示され続けている。ウジェーヌ呼びは彼が主人公であることを示す?)一方リュシアンの出生名は平民の父の姓を用いた「リュシアン・シャルドン」であり、名門貴族だった母の姓「ド・リュバンブレ」を名乗ることが許されるか否かはリュシアンの行動原理に関わる。『幻滅』でリュシアンが王党派についたのはリュバンブレ姓の使用許可という餌につられたからであり、また『娼婦~』の冒頭でリュバンブレを名乗れるようになってから、彼はシャルドンと呼んできた相手に即座に反論する。以上からウジェーヌ・ドゥ・ラスティニャックを「ラスティニャック」と表記するのに対してリュシアン・シャルドン・ド・リュバンブレ(遺書の署名より)のことは「リュシアン」と呼ぶしかないことがお分かりいただけるのではないかと思う。

まとめ

『ペール・ゴリオ』を除けばラスティニャックは世渡りと金のことばかり考えているため、低俗な人間と言えるかもしれない。だが小説の登場人物として、私には彼がとても魅力的だと思えた。『ペール・ゴリオ』での(純粋に生きようとする)彼の姿を見てきたからかもしれないが、彼の強く生きていこうとする「骨のある姿」は印象的である。まさに『ペール・ゴリオ』ラストシーン以降の彼は「パリと勝負している」のではないだろうか。

嗅覚のための迷路

清須市はるひ美術館でやっている「嗅覚のための迷路」展に行ってきた。

名古屋に来てから2年半以上経つが、これまで愛知県内の他の町を訪れたことがあまりなかった。(名古屋市内も知らないところがまだまだ沢山あるし、三重や岐阜、静岡もあまり行っていないが。)
きよすあしがるバスというコミュニティバスが出ていたので、JR枇杷島駅から乗車する。これは待ち時間に撮った駅前広場だが、私はこのように無機的に整備されているが人気のない空間がとても好きだ。

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バスに乗っていたので写真は撮れなかったが橋にも金属でできたオブジェがあり、そらもとても私の心に響いた。なお休日の昼間なのに(だから?)乗客は数えるほどしかおらず、ほとんど私1人と運転手のみの空間だった。

美術館に着いた。美術館は図書館と公園とともに、コンクリートで整備されていた。ここも私の好みに合致した。

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展示は3セクションに分かれていた。美術館自体がこじんまりとしていて、すべて回るのに20分もかからないだろう。
匂いのついたスリッパを履いて犬のようにその匂いを地面に着ける、あるいは辿るコーナーや桜の匂いの強弱を辿って(実際にあるわけではない)桜の木を探すような体験をする展示(写真)、薔薇の香りを構成する上位8つの匂いを分けて円状に巻かれた布に一つずつ染み込ませ、円筒の中心で組み合わさった薔薇の香りを感じる展示があった。

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館内にあまり人がいなかったこともあり、一通り回ったあと私は目を閉じて桜や薔薇のコーナーを彷徨った。特に薔薇の展示は花びらや花粉、茎の匂い(と私が感じただけで的外れかもしれないが)が分かれたものを嗅いだのは初めてだったし、円筒の中心に立った時に全てが合わさり薔薇の香りを感じた時の感動はひとしおだった。何故なのかはよくわからないが、分割された薔薇の匂いのうち懐かしさを思い起こされるようなものがあった。また全てが合わさった"薔薇の香り"自体も私にとっては気持ちが落ち着き、安らげるようなものだったと思う。帰りに(匂いの染み込みやすい紙でできていると説明を受けた)チケットに桜か薔薇の香りをつけられるように香水が受付に置いてあったが、わたしは薔薇の香りを存分に紙に振りかけた。
ちなみに香りアレルギーの人は遠慮してくれという注意書きがあったが、確かに香りは強いものの私にはとても心地よい香りだったので全く不快だとは感じなかった。香水や香りを放つものそれ自体が苦手でなければ支障なく鑑賞できるのではないだろうか。

美術館開館20周年ということでロビーには過去のポスターが展示されていたが、行かなかったのが悔やまれるほど興味深いテーマが多かった(私がまだこっちに来ていなかった頃の展示など当時は知る術も行く術もなかったのだが)この美術館には引き続き注目していきたい。美術館の建物自体もとても気に入った。

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余談だが(バスの時間が中途半端だったので)歩いた帰り道にネパールカレーの店を見つけた。チーズナンの写真がとても美味しそうだったのでいつか食べたい。