Je t'aime comme la tombe.

フランス革命萌え語り。あとは映画と野球?ハムファンです。

LINEに限らずチャットが苦手

必要な連絡以外のLINEが嫌いだ。いや、LINE社が提供しているサービスだけをことさら嫌悪しているのではない。MessengerやTwitterInstagramなどのDM、さらにメールでも、個人的な雑談は好きになれない。たまに送ってみようと入力欄に文字を打ち込んでみると、送信すべきでないとの思いが高まってすぐに文字を消してしまう。

対面での雑談が極端に苦手というわけではない。人見知りだし人と話すのが好きではないが、それでも他愛ない話題が思いのほか続くと楽しい気分になる。思いがけない話題で笑いが満ちると1週間は幸せな気分になる。(笑いすぎてしゃっくりがその日一日止まらなかったこともある)2020年3月までは、研究室の居室で先輩や後輩、同期と、アルバイト先では同僚(学生も、パートの方々も)日々笑いあったものである。(現在は居室に集うことがなくなったので、雑談がものすごく下手になってしまった)

しかしその内容を文字にしてしまうとその事柄がとてつもなく重要な意味を含んでしまうように思われるのだ。私にとって思いやトピックを文字にして他者に直接送るのは、重大な行為である。「今週はめっきり寒くなった」とか、「日本シリーズ見た?(周りに野球好きはほとんどいないが)」とか、聞いても聞かなくても良さそうなトピックは送るに値しないと判断されて、文字を奪われてしまうのだ。文章を誰かに送るということは、私にとって殺人や接吻のように重大な行為であるように思われる。

何度かチャットによる雑談を仕掛けてみたことはあるが、それでも私が会話を続けるのが苦しくなってしまって終わった。喧嘩や弾劾があったわけではない。次第にやりとりが空虚と変わっていくような気がしたのだ。相手と実際に顔を合わせると、何時間でも話していられるし、黙っていてもそれが心地よいのに。

結果として、私は誰ともチャットを使った個人的雑談をしなくなってしまった。

だが必要な連絡、「明日の授業の課題ってどこまで?」とか「来週末良かったら(場所)に行こう」など、連絡しないと始まらない連絡はあまり億劫ではない。必要性が言うまでもなく感じられるからだ。「必要」とか「役に立つ」という概念が好きではないのに、こういうときはこれらを判断事項にしてしまう。

一方でTwitterやこのNoteのように、特定の誰かに向けずに好きなように好きなことを書く場所では、それほど恐れずに文章をしたためられる。(Noteをはじめとするブログは放置しがちだが)現にこの話題も、はっきり言って文書化しなくても誰も私も困らない。だが、LINEをはじめとするチャットが苦手な気持ちを文章化せずにはいられなくて、こうして文字を重ねていく。